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生い立ち

昭和50年12月、福井県大野市生まれ、3人兄弟の長男。

幼少時:
母方、父方両方の祖父母にとって初孫だったため非常に大事に育てられる
そのためか、非常に病弱で、ほぼ毎月体調をこじらせ、小児科通い。
母親の強い勧めで「スイミングスクール」に通い出す(小6まで)。

小学生時:

両親に言わせると内弁慶で弟には威張るが、外に出るとおとなしい子。
小4から「ボーイスカウト(カブ)」に加入する(小6まで)。
この時から、野外活動に興味を持ちだす。
ジョギングが好きで、小6時の校内マラソンで1位をとる。
小6の理科の時間、ビーカーを持って転び、右手のひらの腱を切る

中学生時:

卓球部に入部、20数名いる部員のうちリーグ戦では常に最下位争い
英語の時間の質問で「あなたの好きな科目は何ですか。」「理科。」
と言ってしまってから、何となく理科が好きになる。言葉は言霊。
中1から中3まで理科係

高校生時:

またしても卓球部に入部するが、努力の成果が出ず、
2年時に陸上(長距離)部に転部。
またたく間に頭角を現し、2、3年時の校内マラソンで全校1位を獲得。
高校駅伝予選会の際にも「第1区間」を任される。
人間、努力も必要だが、才能に勝るものなし。と自覚する。
勉強は。。。 3年時に挽回し、地方国立大学へ滑り込みセーフ。

大学生時:

理学部地学科に進学。
大学パンフを見て「トライアスロン同好会」に入ろうとするが、発見できず、
再び陸上部へ
しかしながら、大学体育会陸上部はつわものぞろいで、休みはほとんどなし
「自分の思い描いていた、大学生活とは違う!」と、1年間でやめる。
トライアスロン同好会を発見し、入会。
やはり、自分は拘束されるのが苦手だと再認識。
2回生時、「インカレ中四国・九州予選会」にて、約50人中、繰り上げで
11位入賞。全国大会へ進出

おりしも環境問題がはやりになった時期で、2回生の後半に、
サークル「エコ推進部」を立ち上げる
大学間環境サークル「エコリーグ」にも加入し、全国に友人を増やす。
4回生のときには、「温暖化防止京都会議(COP3)」を傍聴する。
「A SEED JAPAN(環境NGO)」主催のフィリピン環境問題
スタディーツアーに参加する。

大学の社会問題の講義から、「食の安全」に興味を持ちだす。
環境問題以外に、食と健康にも関心を持ち、「玄米生食」「マクロバイオティク」
(簡単に言うと未病を防ぐ食事療法)にもはまり、
四国の大学から、遠く大阪や東京まで、講義を聴きに行く。


就職:
「環境問題+食の安全」をテーマに、「生活クラブ生協」に就職。
しかし、理念は尊くても、主な仕事は「トラックでの配達」。 
運動のセンスがない私にはきつい仕事で、1年で離職


旅:
ちょっと戻って
「旅に出てみたい。」と初めて思ったのは、高校生の時。
大学生になったら、「ワーキングホリデーで、オーストラリアに行く。」
と決め、親に相談したら、「学生のうちはだめだ
就職して自分でお金を稼ぐようになってから、考えなさい。」
と、一蹴される。

大学2回生の夏、高校入学祝いに祖父に買ってもらったMTBで、
自転車の旅
に出る。
初回は、福井の実家から、飛騨高山、上高地をめぐり、富山に下りてくる。
という約、5日間の行程。地図で調べたキャンプ場がなかったり、
神社の境内に泊まったり、予定の場所につけずに、真夜中まで走り続けたり。
今考えれば、こっけいな話だが、いい思い出。

転機になったのが、大学2回生が終わるころ、10日間かけて「九州縦断の旅」
に出かけた。春でまだ寒かったため、YH(ユースホステル)とキャンプを
併用しての旅だった。
今でも覚えているが「別府YH」に宿泊した時、同室(YHは基本的に大部屋)
になった、幾分年上の人が、「インド旅行」の話をしてくれた。
「そんなに面白い国がこの世の中にあるのだったら、是非行ってみたい!」
と、決心する。

初海外、初インドは大学3回生の夏。デリー入国で、ラジャスターンを回って、
ジョードプルでキャメルサファリをし、
南下してアジャンター・エローラの遺跡、アウランガバードの砦を見た。
インド人の生活を真近にして、「こんな生き方もありなんだ。」
「肩の力を抜いて生きてもいいなあ。」
なんて、自分のライフスタイルを考え直すきっかけを与えてくれた。
この時は、約1カ月滞在して、全てで100ドル程度。
学生にはお勧めの国である。(約15年前の相場、今だったら無理だろうなあ。)


で、離職した後に、インド再訪。
この時は、「ブッダ」に関する書籍を読んだ後だったので、
仏陀生誕から入滅の土地(カルカッタからネパール国境の地まで)を訪れた。
その当時、ヨガも習っていたので、「リシケシュ(ビートルズが修行した都市)
で、ヨガマスターになるか。」なんて思っていたが、
ネパール滞在時に「ヴィパサナメディテーション」という瞑想法に出会い、
そこで2週間修行できたため、ヨガは却下。

その後カルカッタにもどり、インド最南端のコモリン岬まで南下。
トータル約5カ月。
初めは、旅行も楽しいが、数ヶ月経つと、旅行が日常になってきて、
発見も少なくなる。
自分が社会から切り離されてしまったようで
「自分がいなくても社会はなんていうこともなく、回っていくのだろうなあ。」
と思うと、いたたまれなくなる。
宿で掃除をするおじさんたちがうらやましく思えてくる。


再就職へ:

「潮時だな。」
でも、日本に帰っても、仕事はない。
自分には何が向いているか。
何が好きかではない
、好きを優先しすぎると「卓球部」「生協」の二の舞になる。
学生の時のアルバイトは、ファストフード、家庭教師、日雇い労働など。
ファストフードは好きだったが、手が遅く向いていない。
家庭教師は好きだし、そこそこ、向いていそう。
でも、仕事となると不安定だし。
じゃあ、「学校の教員」は?
ということで、とりあえずの道を決める。

早速、日本に帰国し、昼は造園屋、夜は家庭教師のアルバイトで学費稼ぎ。
翌年の4月から「理科の教員免許」取得のために岡山の大学へ。
1年間で取得し、その後は近くの高校などで、理科(生物)を教える。
縁あって、実家の隣県の私立中高一貫校にて職を得る。
6年勤務後、青年海外協力隊、理数科教師としてエチオピアへ派遣。



最後はちょっとかけ足になってしまったが
とりあえずは
これにて終了

何かの機会に更新予定



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