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時差ぼけと酸素(6月22日)★

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日本からエチオピアに来た時には、
「非常に長旅だった。」という印象だったが、
帰りの便、エチオピア→ドバイ(3時間)
ドバイ→大阪(8時間)は、あっという間だった。

というのも、連日の荷詰めと郵便局での発送+大掃除で
疲労困憊だったからだろう。
食事が終わると、すぐさま眠りに落ち、
それ以外のことはほとんど覚えていない。

特に、ドバイからは、ぐっすりと眠ったようで、気がついたら
韓国上空に来てしまっていた。



かつ、時差6時間分を一気に短縮したため、
深夜にドバイを出発したのだが、朝になって、
昼をすっ飛ばして、夜が来たような感覚。。。

同期隊員は、「ホテルについても、目がさえて眠れなかった。」
と言っていたが、私はどちらかというと
「酸素が十分あり、途中何度か目は覚めたものの非常に快眠だった。」
という印象が強い。

任国外旅行に出て、非常にありがたいのは
「深い睡眠が得られること」
1週間以上、国外に出ていると帰ってからは
いくら寝ても寝足りない、頭がぼーっとするような感覚に襲われる。

こればかりは何事にも代えがたい。
もちろんベッドにはダニがいないことの付け加えておく。

帰国(6月21日)★

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昨夜は3時間は眠っただろうか。。。
最後の荷物を送りに9時過ぎに郵便局に出かける。
カウンターには、客が一人しかおらず、胸をなでおろす。

3回も来ると、おじさんももう顔なじみ。
前回の荷物が届いたお礼を告げ、
最後の荷物を出荷。
これで一安心。



あとは、手土産用のコーヒーを1㎏だけ買い、
長年住んだ、家を後にする。

大家さんには、前日の日曜日の夕食に招待され、
お別れの話は済ませていた。
その日、始めは、近所に住む招待客が数名もいたが、
彼らがかえってからも、大家のおじさんとおばさん
私の担当窓口として活躍してくれた、ハイル
4人で、じっくりと話をした。

おばさんからは、記念にと、アムハラ語の書かれた
Tシャツを記念にもらった。
私も、母親から送ってもらっていた、風呂敷をあげた。



大家のおばさんには、
「あなたの礼儀が正しいのは、あなたの周りの人が礼儀正しいからだろう。」
「今後も、このままの良い振る舞いを続けてください。」
とほめていただいた。
その後、家族の話に移ったので、PCに保存してあった
写真を見せながら、家の様子、日本文化についても話に花が咲いた。

おじさんには、ローカルアルコール「アラケ」をついでもらって
のんびりした気分になれた。



運悪く、出発の時間には、大家のおじさんしかいなかったので、
最後のあいさつをし、多量の荷物をタクシーに積んでいざ出発。
もう帰ってこないと思うと、
全てが名残惜しく思う。

ちょっと早く、ドミについたので、
我らが置いてゆく予定の残留荷物の整理も少し手伝い、
その後、同期隊員と共に近くの写真館に記念撮影に出かけた。
総勢8名がそろうことは、これからはないだろう。。。



定刻が来て、空港へ出発、
同僚の、タカリとタバブも空港に見送りに来てくれた。
かれらも、さびしそうな表情をしていた。

見送る側の時は手持無沙汰になるのだが、
送られる方では、あっという間に時間も過ぎ去り、
いざ出国カウンターへ。



最後は、バタバタしてしまったが、
何とか、皆に挨拶もでき、
出発できたことに感謝したい。

12時間後には、日本に到着する。
2年間帰っていなかった祖国日本が、
その間に、どう変わっているのか、
私がどう適応してゆくのか

心配でもあるが、楽しみでもある。

帰国前夜(6月20日)★

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気がつけば、もう午前3時。。。
興奮で寝付けないのではなく、
引っ越しの荷物整理とお掃除が長引き、
こんな時間になってしまった。



その後、貴重品の整理をしていたら、
「あれ? IDが挟んである手帳どうしたっけ??」
と、一旦パッキングした荷物を、再度開けはじめる始末。

何とか見つかったから、良かったけれど、
深夜の作業はしないに越したことはないと
再認識した。



本当は、今日のうちに、「理数科保存版DVD」を作成する予定だったのだが、
この調子だと、お日様が昇ってしまいそう。。。

送別会(6月18日)★

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とうとうやってきてしまった「我々の送別会」

いつもは、「今回は何の料理を持って行こうか。」
「何人ぐらい参加があるんだろう?」
なんて、のんきに構えていたのだが。

今回は、送られる立場で、座席も中央の主賓座席。
幾分かしこまりつつも、
なんだか居心地悪いような変な感じ。。。



前回から、企画委員も一新され、送別会の出し物、ゲームも非常に凝っている。
今回は「第1回、K1、MIお笑いグランプリ」と題されて、
約10名の隊員が、趣向を凝らして笑わせてくれた。

今回、高性能のビデオカメラを持参し忘れたのが、非常に心残り。。。

最後に、企画幹事から記念品を贈呈され、
送られる隊員から、残る隊員への一言。
皆が、それぞれの思いを持ちがあり、ここエチオピアにやってきた。
2年間は長かったのだろうか、短かったのだろうか。



人間は、その場所、その時間のことは
そこから距離を置き、時間を置いてでないと見ることができない。
おそらく、日本に帰り、数日たった後おぼろげながらも見えてくるものがあるのだろう。

逆に、ここエチオピアで日本について思ったこと、エチオピア人を通し考えたことは
日本に戻って日本人に囲まれてしまうと、客観視できなくなる可能性が高い。

とりあえず、後3日は、まだエチオピアにいる。
その間にできること、すべきことを慌てず、騒がず淡々とこなしたい。

交通規則にローカルルール?(6月18日)★

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普通、同程度の大きさの道路が交差している場合、
「中央線」がつながってひかれている方が優先道路になるのは
世界各国で共通であろう(おそらく)。

しかし、アジスアベバでは、ローカルルールが適応される場合がある。
どういう時かと言えば、

優先道路でなくても、
1)その路が上り坂で
2)道幅も優先道路並みに広く、
3)お互いの見通しが良ければ
優先道路を走る車のほうが、止まって待たなければならない。。。



そのようなおかしな習慣がある場所が
私の知る限りでも、アジスアベバに2か所ある。
そのエリアに詳しいエチオピア人ならば、問題ないが
そこを初めて訪れる、外国人がいた場合
事故を起こす可能性が高い。

おそらく、車の性能が悪かった時代に
上り坂で止まらせた後、発信できない車が多かったため
と推測できるが、これは早急に改められるべき問題だと思う。

しかしながら、車の運転については、譲り合いの文化が色濃く残っているため
今のところ、うまくいっているのだろうと思われる。



★ 詳しくは下の動画を参照ください

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