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スラムの正当性★

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「都市のがんと呼ばれるスラムが社会問題に(中国)」という記事を読んだ。
最後は「北京五輪を控えた2004年、競技場周辺と環状4号線より内側にある171カ所が取り壊された。」となっている。

日本人にとってスラムとは、映画の中の世界であり、
「廃墟のビル、銃や麻薬の巣窟」と言うイメージが強いのではないか。
Wikipediaでは、
「都市部で極貧層が居住する過密化した地区のことであり、
都市の他の地区が受けられる公共サービスが受けられないなど荒廃状態にある状況」
となっている。



日本でも低所得者が住むエリアは自ずと限られてくることが多いが、
公共サービス(電気、上下水道、ガス)が受けられないことはない。

しかしながら、ここエチオピアや先ほどの記事の中国などの途上国では
低所得者層の住むエリアでは、
電気はあるにしても、水道は限られ共同井戸のことも多い。

一番の問題は「トイレ」であり、たいていが汲み取り式の共同トイレ。
しかしながら、たまった後の汲み取りにコストがかかるらしく、
あふれかかっていることもある。
雨期で雨が多い時期には、雨水がトイレに流入し、
目も当てられない状態になるのは明らかである。



日本では県、市の下に、最小行政区の「地区」があるが
エチオピアの首都アジスアベバでは、
市の下に、「カバレ」と呼ばれる最小行政区がある。

このようなスラムもどこかのカバレに属すると思われるが、
ないがしろになっている感が強い。
低所得者は、所得が低いがゆえに、
納税の額が少なく、かつ冠婚葬祭等の式典も小規模になりがちで、
地域における発言力は小さいと思われる。
その結果、均等なインフラの整備がなされていないのではなかろうか。



では、なぜ、低所得者は低所得者であり続けるのだろうか。
それは、途上国では、都市人口が多く、職にあぶれる人が多い。
それゆえ、供給過多で、最低賃金が非常に低くなってしまうのである。

エチオピアでは、喫茶店のウェーターで、1月、300ブル(約1500円)程度、
警備員では、1月400ブル(約2000円)程度である。
うちの同僚に聞くところでは、
アジスでトイレとキッチン無しの部屋を借りるのでも、
400-600ブルはかかるらしい。

そうなると、昔からの持ち家がある場合を除いては、
どうしても、「普通の場所」で生活するのは難しい人が多くなる。
そこで、生活したくてもできないのだ。
仕様がないから、線路の近くや、川の近くなどの空き地に、
無断で仮の住まいをたてざるを得ない。
そのような場所がやがて「スラム」と化す。



以前のエチオピアは、全ての人が貧しかった。
そのため、皆が助け合ってきた。
ここ数年、物価の上昇も著しく、貧富の差も広がってきた。
差が広がりすぎて、富める者が貧しきものの気持ちを理解できなくなると、
中国のように、「都市の癌は排除せよ!」となるのだろう。

エチオピアは、今後、どのような道を歩むのだろうか。
気になるところである。

※写真は、「理科実験ショー」を、「HIVコミュニティーの集会所」でやった時のもの。
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